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第17章 収益構造とユニットエコノミクス

第16章では、利益と現金が一致しない理由を財務三表から読み、600 万円の一括投資を 200 万円の段階投資へ分けました。次に知りたいのは、その投資を広げるほど事業がよくなるかです。

顧客が増えるほど売上は増えます。しかし、獲得費、初期設定支援、基盤費、問い合わせ対応も増えます。平均売上が同じでも、長く継続し自力で設定できる顧客と、短期間で解約し例外対応が多い顧客では経済性が違います。

ユニットエコノミクスは、事業を顧客、契約、注文、拠点などの反復単位へ分け、1 単位を獲得・提供・維持する経済性を見る方法です。

ユニットエコノミクス(顧客や契約一単位の採算)は、LTV(顧客生涯価値)と CAC(顧客獲得費)の比率を出すためだけのものではありません。成長させる単位、直す活動、止める獲得を選ぶために使います。

本章の数値は、他部署承認を伴う初期設定支援を提供する架空の法人 SaaS の例です。税金、資本コストなどは単純化します。

17.1 指標の前に単位と意思決定を置く

今回の意思決定は、2027 年 4 月から初期設定支援を新規顧客全体へ広げるか、他部署承認が必要な顧客だけへ限定するかです。

ユニットは「1 法人契約」、観測開始は契約月、期間は 24 か月とします。1 法人に複数利用者がいても 1 契約として数えます。追加拠点や大幅なプラン変更は別の拡張売上として記録します。

最初に固定する定義は次です。

項目本章の定義
新規顧客対象月に初めて有料契約を開始した法人
獲得費その顧客群の獲得に必要な営業・マーケティング費
提供費基盤、決済、支援など契約の提供量に関連する費用
粗利売上から本章で定義した提供費を引いた額
解約法人契約の有料利用が終了すること
LTV定めた期間または契約寿命に見込む顧客当たり累積粗利

会社、会計、分析目的によって費用区分は異なります。略語だけを共有せず、分子、分母、期間、税込・税抜、配賦をデータ辞書へ残します。

17.2 月次経常収益を数量・単価・継続へ分ける

ここでは、月末時点の継続契約が翌月にもたらす月額換算額を月次経常収益(MRR)と呼びます。会計上その月に認識する売上高とは区別します。

月末 MRR
= 月初 MRR
+ 新規売上
+ 拡張売上
- 縮小売上
- 解約売上

「売上が 10% 増えた」だけでは、値上げ、新規獲得、既存顧客の拡張、解約減少のどれか分かりません。成長の源泉によって、再現性と必要投資が違います。

仮想企業の 1 か月を見ます。

MRR の月額換算変化金額(万円)
月初継続売上1,000
新規売上+80
拡張売上+40
縮小売上-20
解約売上-50
月末 MRR1,050

売上は 5% 増えています。しかし、新規獲得を止めると 30 万円減る構造です。既存顧客だけの変化は 40 - 20 - 50 = -30 万円だからです。

17.3 費用を固定・変動の二択で決めつけない

固定費は一定範囲で提供量が変わっても総額が変わりにくい費用、変動費は提供量に応じて変わる費用です。ただし、多くの費用は完全な二択ではありません。

費用短期の性質数量が増えたとき
基盤利用料変動的利用量・保存量で増える
決済手数料変動的売上に比例しやすい
支援担当者段階固定的能力上限までは一定、超えると採用が必要
開発チーム短期は固定的長期には人数・外注を変えられる
広告裁量的予算を変えられるが獲得量・質も変わる

1 人の支援担当者が月 40 社を扱えるなら、顧客が 39 社から 40 社へ増えても人件費は変わりません。41 社で採用が必要なら費用は段階的に増えます。平均費用を直線で延長すると、能力上限を見落とします。

17.4 限界利益で追加の 1 単位を見る

本章では、限界利益を売上から数量に応じて増減する費用を引いた額として使います。

実務では「限界利益」「貢献利益」の費用範囲が組織により異なります。本章の定義を、定義確認なしに他社・他資料との比較へ持ち出しません。

限界利益 = 売上 - 変動費
限界利益率 = 限界利益 ÷ 売上

月額 6 万円、基盤・決済 1 万円、平均支援費 2 万円なら、顧客当たり月次限界利益は 3 万円です。ただし支援費 2 万円が能力上限内の配賦なのか、追加顧客で実際に増える費用なのかを区別します。

限界利益が正でも、固定費、開発投資、借入返済を賄えるとは限りません。反対に、初月だけ支援費が高くても、長期の累積粗利が十分なら獲得する価値があります。

17.5 損益分岐点は前提付きの境界

固定費が月 600 万円、顧客当たり月次限界利益が 3 万円なら、単純な損益分岐顧客数は 200 社です。

損益分岐顧客数 = 固定費 ÷ 顧客当たり限界利益
600 万円 ÷ 3 万円 = 200 社

この計算は、単価、変動費、顧客構成、能力上限が一定という前提です。支援担当者の追加採用が 200 社の前に必要なら、固定費が段階的に増え、境界も変わります。

損益分岐点を達成目標と同一視しません。現金回収、成長投資、安全余力、税・返済を含まないためです。

17.6 CAC は獲得活動と顧客群を対応させる

CAC(Customer Acquisition Cost、顧客獲得費)は、顧客を獲得するための費用を新規顧客数で割った指標です。

CAC = 対象期間の獲得費 ÷ 同じ活動から獲得した新規顧客数

営業・マーケティング費 600 万円で 30 社を獲得したなら、単純 CAC は 20 万円です。しかし、次を確認します。

  • 広告だけか、営業人件費、ツール、代理店、イベントも含むか
  • 当月費用と当月契約を割ってよい販売期間か
  • 無料登録、商談、契約、入金のどれを獲得とするか
  • 新規獲得と既存顧客の更新・拡張費を分けたか
  • 自然流入と有料施策を同じ平均にしたか

法人営業では、費用を使った月と契約月に時間差があります。案件やコホートへ獲得活動を対応させ、単月の分子・分母を機械的に割りません。

例えば 1〜3 月に営業・マーケティング費 600 万円を使い、その活動から 4〜6 月に 30 社が契約したなら、この案件コホートの CAC は 20 万円です。自然流入顧客を混ぜず、案件 ID と獲得経路で対応させ、共通人件費の配賦規則も固定します。

17.7 LTV は未来の事実ではなくモデル

LTV(Customer Lifetime Value、顧客生涯価値)は、顧客関係から得る将来価値の推計です。本章では、顧客当たり累積粗利として扱います。

将来キャッシュフローを資本コストなどで割り引く定義もあります。本章の粗利モデルは、運転資本、税、資本コストを含む企業価値評価ではありません。第18章で現在価値を扱います。

データが十分なら、契約月コホートごとに実績を積み上げます。

24 か月 LTV
= 1 顧客当たり各月粗利の合計
- 契約固有の維持・解約費用

簡易式として、月次粗利を月次顧客解約率で割る方法が使われることがあります。

簡易 LTV = 顧客当たり月次粗利 ÷ 月次顧客解約率

月次粗利 3 万円、解約率 2% なら 150 万円です。しかし、この式は毎月同じ解約確率を置く幾何分布、解約率の定常性、顧客の同質性、一定粗利、十分な観測といった強い前提を置きます。拡張・縮小、契約期間、解約率の時間変化、資金の時間価値も単純化しています。

新規事業で 3 か月しかデータがないのに、2% の解約率から 50 か月の寿命を断定してはいけません。観測済み累積粗利と、その先の推計を分けます。

17.8 LTV/CAC 比率だけで投資を決めない

仮に LTV 150 万円、CAC 20 万円なら LTV/CAC は 7.5 です。大きいほど常に良いとは限りません。

  • LTV が短い観測から過大推計されている
  • 獲得費に営業人件費が入っていない
  • 高い価格のため成長機会を逃している
  • 獲得を絞りすぎ、組織能力を使えていない
  • 粗利はあるが回収が遅く、現金が足りない
  • 平均が顧客群の赤字を隠している

回収期間も見ます。

CAC 回収期間 = CAC ÷ 顧客当たり月次粗利
20 万円 ÷ 3 万円 = 約 6.7 か月

年間前払いか月払いかで、同じ会計上の粗利でも資金負担は違います。第16章の現金表へ戻します。

17.9 平均をセグメントとコホートへ分ける

初期設定支援を全顧客へ広げる判断のため、顧客群を比べます。

指標他部署承認あり承認なし
月額売上7 万円5 万円
月次提供費3 万円1 万円
月次粗利4 万円4 万円
CAC30 万円15 万円
12 か月継続率85%70%
初期支援時間6 時間1 時間

この表は各群 20 社を 12 か月追えたという仮想例です。実務では母数、観測開始、観測打切り、再契約を明示し、追跡期間に満たない顧客を単純な非継続へ数えません。

85% は 17 社、70% は 14 社に相当し、差は 3 社です。小標本から安定した差を断定せず、追加コホート、顧客構成、信頼区間、解約理由を確認します。

月次粗利は同じでも、獲得費、支援能力、継続が違います。「承認あり」は支援工数が高い一方、継続が高い仮説があります。支援が継続を生んだのか、もともと重要度の高い顧客が継続したのかは、この表だけでは分かりません。対象内で支援方法以外の条件をできるだけ揃えて段階導入し、完了、支援時間、3・6・12 か月継続を比べます。無作為化できない場合は対象選定規則と群差を残し、因果効果を断定しません。

契約月コホートで、価格、製品、獲得経路、支援方法が同じ時期の顧客を追います。古い顧客と新しい顧客を一つの平均へ混ぜると、改善前後を誤ります。

17.10 感度分析で選択を変える前提を探す

LTV は解約率の小さな変化で大きく動きます。月次粗利 3 万円の場合です。

月次解約率簡易 LTV
1%300 万円
2%150 万円
3%100 万円
5%60 万円

解約率を精密に見せるより、観測期間、顧客数、信頼区間、解約理由を確認します。価格を上げると粗利は増えても獲得・継続が下がる、支援を増やすと提供費は増えても継続が上がる、といった連動をシナリオで扱います。

今回、最も選択を変えるのは、支援が 12 か月継続率をどれほど改善するかと、1 社 6 時間の支援を仕組み化できるかです。LTV の小数点ではありません。

事業責任者は 3、6、12 か月時点で判断します。3 か月では完了率、支援時間、返金・未回収、6 か月では初期継続と CAC 回収、12 か月では群別累積粗利を見ます。支援が完了を改善し、1 社 6 時間を能力上限内へ収め、12 か月累積粗利が CAC と追加支援費を上回るなら限定拡大します。満たさなければ対象縮小、支援設計変更、獲得停止を選びます。

自然流入、営業、パートナーなど経路別に CAC と回収期間を置きます。ここでの 12 か月累積粗利は売上から基盤、決済、支援を一度だけ控除した額です。追加獲得投資はその範囲内を暫定上限とし、費用を二重控除しません。返金・未回収を反映した現金回収でも確認し、全社平均で赤字経路を隠しません。支援担当者が月 40 社の上限へ達する前に、採用後の段階固定費を再計算します。

売上・粗利の定義では、無料期間は売上 0、返金は対象月の売上から控除し、未回収は会計上の売上と現金回収を分けます。貸倒れ見込みは適用基準と社内方針に従い、経理責任者が確認します。

3 か月時点で 1 社当たり支援が 6 時間を継続して超える、または月 40 社の能力上限を超える見込みなら、継続効果を待たず全体拡大を停止します。

17.11 AI にモデルを作らせ、コホートで再計算する

AI は、指標定義の候補、集計式、SQL や表計算式、感度分析、異常値の説明候補を作れます。入力にはデータ辞書と意思決定を含めます。

意思決定:
初期設定支援を全顧客へ広げるか、他部署承認ありへ限定するか。

入力:
- 契約 ID、契約月、セグメント、獲得経路
- 月次売上、値引き、返金、提供費、支援時間
- 解約・再開・拡張・縮小の定義
- 獲得費と案件の対応期間

依頼:
1. 指標の分子、分母、期間、除外を先に示す
2. 契約月 × セグメント × 獲得経路でコホートを作る
3. 観測済み累積粗利と将来推計を分ける
4. CAC に含む費用と時間差を示す
5. 簡易 LTV の前提と破綻条件を示す
6. 支援時間を含む提供能力上限を計算する
7. 集計を再現する式または SQL を出す
8. 欠損、重複、再契約を推測で補わない

AI の出力は、少数の契約を手計算し、全体集計と照合します。単位、税込・税抜、月・年、顧客・契約・利用者、平均・中央値を確認します。AI が示した「健全な比率」を普遍的な基準として採用しません。

17.12 指標を使わなくてよい場面

顧客が数社しかなく販売方法も定まらない段階では、精密な LTV/CAC より、実際の入金、支援時間、解約理由、次の契約を追う方が有効です。

単発販売、公共サービス、広告型、多面市場では「1 顧客」の単位と価値の流れが異なります。SaaS の式をそのまま当てません。

考えてみる問い

自社の CAC または LTV を一つ選び、分子、分母、期間、費用範囲、観測と推計の境界を書いてください。別の担当者が同じデータから同じ数字を再現できるでしょうか。

ユニットエコノミクスを使うとは、魅力的な比率を示すことではありません。売上と費用を反復単位へ対応させ、セグメントとコホートで違いを見つけ、成長させる単位、直す活動、止める獲得を選ぶことです。

第18章では、これらの推計を使って投資を選びます。将来の売上・解約・費用は確定していません。回収期間、現在価値、シナリオ、段階投資を使い、不確実性の中でどこまで資源を拘束するかを考えます。

参考資料

最終確認日: 2026 年 7 月 15 日。本章の定義表、コホート比較、感度分析、AI 検証手順は、以下の資料を踏まえた本書独自の整理です。